JAPAN

信仰の山 三角山(みすみやま)

 

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
近くに来られた際には、ぜひ行ってみてください!


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信仰の山 三角山(みすみやま)

 

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
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信仰の山 三角山(みすみやま)

 

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
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信仰の山 三角山(みすみやま)

 

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
近くに来られた際には、ぜひ行ってみてください!


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信仰の山 三角山(みすみやま)

 

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
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信仰の山 三角山(みすみやま)

 

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
近くに来られた際には、ぜひ行ってみてください!


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信仰の山 三角山(みすみやま)

 

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
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信仰の山 三角山(みすみやま)

 

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
近くに来られた際には、ぜひ行ってみてください!


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信仰の山 三角山(みすみやま)

 

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
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信仰の山 三角山(みすみやま)

 

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
近くに来られた際には、ぜひ行ってみてください!


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信仰の山 三角山(みすみやま)

 

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
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信仰の山 三角山(みすみやま)

 

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
近くに来られた際には、ぜひ行ってみてください!


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信仰の山 三角山(みすみやま)

 

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
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三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
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信仰の山 三角山(みすみやま)

 

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
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信仰の山 三角山(みすみやま)

 

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
近くに来られた際には、ぜひ行ってみてください!


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信仰の山 三角山(みすみやま)

 

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

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三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
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信仰の山 三角山(みすみやま)

 

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
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三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
近くに来られた際には、ぜひ行ってみてください!


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信仰の山 三角山(みすみやま)

 

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

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三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
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信仰の山 三角山(みすみやま)

 

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
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鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
近くに来られた際には、ぜひ行ってみてください!


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信仰の山 三角山(みすみやま)

 

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
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信仰の山 三角山(みすみやま)

 

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
近くに来られた際には、ぜひ行ってみてください!


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信仰の山 三角山(みすみやま)

 

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
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信仰の山 三角山(みすみやま)

 

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
近くに来られた際には、ぜひ行ってみてください!


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信仰の山 三角山(みすみやま)

 

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
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三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
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信仰の山 三角山(みすみやま)

 

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
なぜ「ふるさとワーキングホリデー」に参加したのか?と言うのはこちら

鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本殿前にもたくさんの力石が手向けられていました。
お参りして、少し先にある絶景ポイントへ向かいます。この日は夕日を山頂から見ることができるように、6時17分の日の入りに合わせて登りました。それがこちらの写真です。

三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

この日は前日まで大雨で、やっと止んだかと思えばまだ雲は多く。
綺麗な真っ赤な夕日、ではないけれど、雲の隙間から差し込む太陽の光が用瀬の町に差していて、とっても綺麗でした。これだけで、登山の苦しみ(?)を忘れられますね。
山頂で少し休憩をとって、帰る頃にはもう真っ暗。足場の悪いところも多いので、ヘッドライトをつけて、十分に注意しながら下山しました。

3.今でも残る伝統

このように、三角山は山頂にある巨石によって「神が降りる山」とされ、昔から信仰を集めてきました。
今でも続いている伝統があるので、いくつかご紹介しようと思います。

(1)松明行列

子供達が「お山十字」という三角山へ続く十字路から、女人堂までを灯を持って歩きます。
昔は夜山頂のお堂に籠って、朝日を拝む方が多かったようで、夜には松明を持つ参拝者たちの行列ができていたそうです。
今では、お祭り(三角山神社の祭り。7月23日に行われる)の前日に、子供達が規模を小さくして、その伝統の一部を続けています。

(2)お山相撲

角力場。2018年9月3日

女人堂の近くに「角力(すもう)場」と呼ばれている場所があり、そこで年長さんから小学1年生までの児童が相撲をとります。昔は、全国から力自慢が集まって相撲大会が開かれていたそう。この角力場は、毎年用瀬の各区が交代しながら整備しています。

(3)力石

願掛けの際、あるいは願いが叶った際に、河原の石をお堂の前に手向ける慣習が今も残っています。女人堂や本殿前には、角の取れた河原の石がたくさん転がっています。石の数だけ人の願いがあるのでしょう。と思うと、気楽に踏んづけられないですね。。。

4.伝統を守るために

伝統を守るために何を行なっているのか、三角山神社に関わりのある方に話を聞くと、「町の人の気持ちがあってこそ」と仰っていました。氏子さんたちが「我々を守ってくださる神様」という気持ちを持って、鳥居を建て替えたり倒木を伐採して参道を整備したりしているそう。手を抜かずに後世に伝えていきたい、とその方は仰っていました。

5.景石城

9月3日の登山では、体調や暑さから中鳥居までで三角山登山はギブアップ。代わりに道を逸れ、景石城跡に行ってきました。

石垣の跡が残る。2018年9月3日

景石城の歴史は南北朝時代にまで遡ります。
もともと、この地方の豪族が権益保持の拠点として建てたものだったそう。
時代は流れ、戦国時代になると豊臣秀吉の因幡平定の拠点とされましたが、江戸時代には一国一城令の発令により廃城となりました。
今では石垣や堀の跡が残っています。

景石城跡から見た用瀬の町並み。2018年9月3日
景石城から見た日本海方面。2018年9月3日

景石城のオススメポイントは、何と言ってもそこから見る景色の美しさ。
晴れている日には、日本海まで見渡すことができます。
三角山よりも簡単に登ることができるので、体力にあまり自信がない・・・とか、ピクニック感覚で登りたい!という方にはオススメ。屋根のついた休憩所もありますよ。

このように、用瀬の山々には魅力がいっぱい。
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三角山山頂から見た用瀬の街並みと夕日。2018年9月11日

鳥取県 鳥取市用瀬にある民泊「もちがせ週末住人の家」に「ふるさとワーキングホリデー」の制度を使って行って来ました。
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鳥取県って何もないところ、そんなイメージを持っている方が多いと思います。
さらに用瀬、と言う地名は聞いたこともない方が大半なのではないでしょうか。
そんな土地に2週間強滞在してみて、魅力に感じたものをご紹介していこうと思います。

第1回目は「三角山(みすみやま)」。
山頂には猿田彦大神を祀る神社が建てられており、人々の信仰を集める山です。
昭和30年代頃まで、岡山県の方から参拝客が絶えなかったそう。
どんな山なのか、その由来や、私の感じた三角山の魅力をお伝えしようと思います。
三角山には2018年9月3日に中鳥居まで、2018年9月11日に山頂まで実際に登って来ました。

1.三角山(みすみやま)について

左から、三角山、おおなる山、洗足山の山々。2018年9月3日

三角山とはどんな歴史・いわれを持った山なのでしょう。
現在、用瀬の東側に連なる山々は「用瀬アルプス」と呼ばれており、その中の一つである標高516mの山が三角山です。
猿田彦大神を祀り、古くから人々の信仰を集めて来た三角山。戦前は岡山県方面からの参拝者が絶えず、平安時代には在原行平が訪れて献歌したと言われています。現在でも「願いが叶ったから来た」と遠方から参拝される方がいらっしゃるそう。また、修験者の山でもあり、「仙行者(せんのぎょうじゃ)」という、修験者が雨露をしのぎ寝泊まりした籠り堂があったとされる場所が今も残っています。

2.三角山を登る

用瀬の町のすぐ近くから、三角山への参道は始まっています。
大きな鳥居を超え、歩いて行くと「女人堂」へたどり着きます(ここまでは車で来ることができます)。

女人堂。2018年9月3日

戦前は、これより先は女性は入ることができない領域でした。
女性たちは、写真左側に写っているお堂の前で「力石」に願いを託しました。
力石とは、何かを願うとき・願いが叶った時に河原の石を手向ける古くから続く風習のこと。
女人堂の前には、苔むした石から新しい石まで、たくさんの石が転がっていました。

女人堂〜中鳥居までの道。2018年9月3日

女人堂を抜けると、急で滑りやすい花崗岩の斜面が続きます。今でこそ、風化して階段のようになっているけど、昔はもっと登りづらかったんだろうなあ・・・。
9月3日は暑い日で、この時点でバテバテ。フラフラしながら登って行きましたが、結局中鳥居まででギブアップでした・・・。

中鳥居。2018年9月3日

中鳥居は、女人堂〜山頂までのおよそ3分の1のところにあります。
昨年建て直されたらしく、まだピカピカ。
中鳥居を抜けると、いよいよ神様の領域に入ります。
9月3日の登山では体調や暑さから、この時点でもうへとへと。ギブアップして景石城の方面へ向かうことにしました。景石城のことはまたあとで書くことにして、ここからは9月11日に登山した際のことを書こうと思います。

中鳥居を抜けると、森は一層深くなり、空気や温度も変わって感じられます。
シダ科の植物が多くなり、苔むした岩も見られるように。
女人堂〜山頂までの3分の2地点にある「仙行者(せんのぎょうじゃ)」と言う地点を抜ければ、山頂はもうすぐ。

山頂へ続く階段。2018年9月11日

ヘトヘトになりながらも、山頂にたどり着くことができました。
階段を登ると、そこには巨大な石がゴロゴロと転がっています。

三角山山頂の巨石群。2018年9月11日

日本では昔から、岩や巨石、大きな樹木、森、山などに神様が宿ると信じられていたそう。山頂に広がるこの光景を見て、なぜ信仰を集めてきたのか、納得しました。
昔の人たちはこの光景を見て、「人の力が及ばない何かがあるのではないか?」と想像を巡らせたんだろうなあ。

三角山神社本殿。2018年9月11日
本殿前の力石。2018年9月11日

女人堂の前と同じく、本