国内旅行

靖国神社で夜桜能を鑑賞

20代半ばを過ぎ、やっと最近、「日本文化」「伝統芸能」に関心が出てきた。
小学生の頃、音楽の授業でビデオを観た際はどれも「眠くなる」類のものであったが、
日本の歴史、世界とのつながり…そんな大きな視点で見ると、どれもとても興味深い。

この前、初めて国立能楽堂にて狂言・能を鑑賞した。
もっと観てみたい、どこかで近々公演されることはないのか?
調べてみると、靖国神社で毎年開催されている「夜桜能」という公演があるらしい。
平日夜だったので、なんとか都合をつけ行ってみた。

靖国神社 夜桜能とは

夜桜能は、靖国神社の能楽堂で開催される薪能(たきぎのう=野外に設置された能舞台の周囲にかがり火を焚いて、その中で演目を演じる能楽)。
能をさらに広く普及させるため、平成4年から毎年桜の季節に開催されているらしい。
以下、フジテレビのホームページから抜粋した文章。

《夜桜能》は、東京最古の木造能楽堂である靖國神社の能舞台を蘇生させ、かつ日本の伝統芸能である能を、桜という要素を取り込むことによって、さらに広く普及させる事を目的として企画されました。平成4年4月10日に第1回目を実施し、以来、毎年桜の時期に開催し、東京の春の風物詩として定着してまいりました。
(フジテレビ 奉納 靖国神社 夜桜能HPより)

今年(2022年)は4月4日、5日、6日の計3日間開催。
4日は残念ながら大雨で別会場での開催だったが、
私が訪れた5日と、翌6日は天気に恵まれ靖国神社で開催された。

演目は、舞囃子、狂言、能の順に演じられる。
私が訪れた日は、舞囃子は「田村」、狂言は「清水座頭」、能は「高砂」。
Youtubeで演目をわかりやすく解説してくれる「事前講座」動画を事前に観ることで、知識の浅い私でも、面白く鑑賞することができた。

当日レポ(1) 開演前

当日、私は仕事で午後有給をいただき、かなり早めに靖国神社へ。
空いた時間でゆっくり靖国神社参拝・靖国神社にある博物館「遊就館」を観て回ることができたのでよかった。

靖国神社 能楽堂

それでもまだまだ時間があったため、田安門周辺をブラブラ。
空の青、お堀の緑、桜のピンクのコントラストが美しい。
この日は武道館にて大学の入学式をしていた。

田安門 桜
田安門 桜

夜桜能は18時10分開場、19時開演。
夜になると、桜と能舞台はまた違った美しさだった。

靖国神社 能楽堂
靖国神社の桜

日が暮れるとかなり肌寒いので、上着や膝掛けは必須だ。

では、開演からのレポートを書いて行ってみようと思う。

当日レポ(2)開演

今回、座席は「SS」「S」「A」「自由席」の四種に分かれる。
やはり舞台に近い「SS」がかなり埋まっていて、「A」や「自由席」にはまだ余裕があった。予定が当日までわからない!というときでも大丈夫そうだった(2022年の場合…)。

19時頃、「火入れ式」が行われる。
火入れ式の「火入奉公」は、大臣や元大臣、Eggs&Thingsの代表取締役などが務めていた。

(Eggs&Things??パンケーキ??と、有名人や経営者に関してあまり知識のない私は始終はてなマークだったのだが、後になって調べてみると、タリーズコーヒーを日本で開店したり、参議院議員も務めたことがあったりとかなり有名な方のようだった。)

最初の演目は舞囃子「田村」。
舞囃子は、能の中からクライマックスの舞のみを伴奏付きで舞うもの。
装束はシンプルに紋付と袴で、お面もつけない、とてもシンプルなもので、
私のような初心者でも観やすい!と思った(始終大きめの動きなので眠くならない)。

次に、狂言「清水座頭」。
目の見えない男性と女性が、清水寺で結ばれる話。
内容はシンプルだが、所々のリアクションや動きが面白く、
狂言はコメディだな〜と改めて思った。
演じていたのは野村万作と野村萬斎。

最後に、能「高砂」。
高砂に出てくる謡は、結婚式でも謡われる(謡われていた?)めでたいもの。
Youtubeでその部分を紹介されているものを見つけたので、ご紹介。

靖国神社は周りを主要な道路が走っているため、
時折バイクのモーター音や、ヘリコプターの音に遮られ、「ああ、聞こえない!」と思うことも。ただ、そんな「現代日本の騒々しさ」みたいなものってこんな時でないと気づくことができない。そんなものにも気づいて、人間の活動に思いを馳せることができたのもよかった。

おわりに

急遽訪れることにした夜桜能だったが、行くことができてよかった。
思いがけず靖国神社の博物館なんかも行けて、
自分の中の興味が爆発してしまい、昨日も九段下あたりをウロウロしてしまった(「昭和館」と「しょうけい館」へ行った。先の戦争のことをもっと知りたく)。

この日本には長い歴史があり
色々な思想を持つ人がおり
外国との問題も色々あり

でも一部しか知らずに私はそれらのことを語りたくなくて(語れなくて)
語るため、自分の思想を持つための一つの手段としての伝統芸能だった。

それでまんまとはまっているのだが・・・。

もっとたくさんの人に伝統芸能を見てほしい、とやっぱり思った。

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