ジョージア トビリシを通過して、次の目的地はトルコ東部 ドゥバヤジット。トルコ最高峰、アララト山を臨む小さな街だ。
ジョージア サルプの国境からトルコ入りし、乗り継ぎしながらドゥバヤジットへたどり着いた時の話。
ここでは、トルコのトラブゾンからドゥバヤジットへたどり着いた時のことをまとめる。(トビリシ〜トラブゾンはコチラの記事へ)
ドゥバヤジット(Doğubayazıt)とは

イランやアルメニアと国境を接するトルコ東部の小さな街、ドゥバヤジット。
標高5000m級のトルコ最高峰、アララト山の麓にあり、街の標高は標高1600mほど。
現在、クルド人が多く住んでいる。
歴史は古く、ウラルトゥ王国の時代(2700年以上前)まで遡ることができるそう。
その場所柄、古くからペルシア、アルメニア、ビザンツ、トルコ、などなど様々な勢力が征服を繰り返してきた。
19世紀にはオスマン・ペルシア戦争やロシア・トルコ戦争が起き、元々この地に住んでいた多くのアルメニア人が住む場所を追われた。その後、もともとアルメニア人が住んでいた場所にはクルド人が住み着いたが、トルコ軍がその地を破壊してしまう。
その後建てられた街がドゥバヤジット。
「Doğubayazıt」は東のバヤジット、という意味で、もともとはイサク パシャ宮殿のあった場所(今の街から見て西側・上の写真の場所)に街があったそう。
今でも宮殿の近くにはボロボロに崩れた家屋を見ることができる。
私は、アルメニア側から見たアララト山をぜひトルコ側から見てみたいと思い、ドゥバヤジットへ行くことを決めた。
ドゥバヤジットまでのルート(おさらい)
今回は、まずジョージアの首都トビリシから、トルコの黒海沿岸にある街、トラブゾンまでメトロ社のバスで向かい、トラブゾンで別のバスに乗り換えドゥバヤジットへ向かった。
全体のルートはこんな感じ(↓)。
よく考えたら1日以上かけた長旅だった。
※詳しくは前回の記事へ
トラブゾン〜ドゥバヤジットへ
スカスカの夜行バス
さて、前回の記事の終わり、夜の20時か21時くらいにトラブゾンのオトガル(バスターミナル)の前でバスを降ろされた私。
※前回の記事はコチラ
時間が遅くひとけのないオトガル。
「ドゥバヤジット?ドゥバヤジット?」と聞いて回ると、一つだけ、夜11時頃発のバスがあった。よかった。計画通りドゥバヤジットへ行ける・・・!
チケットを買い、バスの時間までオトガルで待った。
レストランでチョルバを食べた。時間が遅いので私の他に客はいない。
そしてやっとバスの時間。
バスの中はガラガラ。

山あいのサービスエリア的なところで夕食休憩を挟み(絶対いらない・・・と思いきや皆チャイを飲む)、バスは山道を南東へ向かって走る。
なぜか夕食休憩の後、とても眠いのに乗務員のお兄ちゃんがめちゃくちゃ話しかけてきた。申し訳ないが彼に構う余裕がなかった。。ぐっすり眠れた。
朝、目が覚めるとこの世とは思えない、とても美しい景色が広がっていた。
次項ではバスの車窓から見えた美しい景色をご紹介する。
動画ーバスからの美しい景色
さらに乗り換えてドゥバヤジットへ
バスはカルス、そのほかの小さい街を経由。ただでさえ少ない乗客は皆降り、最後は私だけになった。
すると乗務員のお兄ちゃん。
「ここで乗り換えて!」
と言う。
えー!ドゥバヤジット行きのバスじゃなかったの!?
言われるがまま、名前もわからぬ小さな街で、男たちで満員のミニバンに乗り換え、ドゥバヤジットに向かった。
※もちろん、ミニバンの代金は元々トラブゾンから乗っていたバスの人が出してくれていた。
ドゥバヤジットに着いて
ドゥバヤジットに着いたのは10時くらい。
1日がかりの旅だった。
到着してすぐ、目星をつけていた格安ホテル「HOTEL ARARAT」へ向かう。
この小さな街にはホステルはなく、多分このホテルが最安。
いくらだったっけ・・・忘れてしまったがレビューを読んで期待していたよりは格安じゃなかった。この数年で少し値上がりしたようだ(それでも値切って、少し安くしてくれた)。
暗く煙たいロビー(この地では室内でも人々はよくタバコを吸う)、湿っぽい部屋。シャワーをちゃんとしめてもポタポタと水滴が落ちてくる。
標高が高いからだろうか、5月中旬、肌寒いドゥバヤジットの街。
マーケットの様子やメインストリートの様子、人々の様子など、うまく説明できないけれど、昔にタイムスリップしてしまったような印象を受けた。

まるでオールドトルコなトルコ東部。
ドゥバヤジットの観光名所についてはコチラにまとめたので、ぜひ見てみてほしい。
