モンテネグロからセルビアへやってきた私。
最初に訪れたのは、北マケドニアで出会ったダニエラの住むセルビア南部の街、クルシェバツ。ダニエラの家に滞在してお母さんの手料理を食べたり、友人家族と会ったり、歴史や彼女の体験、価値観を聞くことができたり・・・。本当に貴重な体験ができました。
今回は、行った場所や聞いたことなど、クルシェバツの滞在中の出来事を時系列にまとめようと思います。
ダニエラのお家に滞在
北マケドニアの首都スコピエで、同じホステルに滞在していたセルビア人のダニエラ。
彼女と連絡を取り合い、2日間お家に泊めてもらうことになりました。
モンテネグロの首都ポトゴリツァからのバスは定刻を過ぎてクルシェバツのバス停に到着。
連絡が取れなかったにも関わらず、彼女はバス停で私を待っていてくれていました。

彼女の車に乗り込み、クルシェバツの街をぐるっと巡ります。
クルシェバツは小さな地方都市。メイン通りがあり、夕方にはたくさんの家族づれで賑わっていました。お父さん、お母さん、子供。家族皆で平日もお出かけできるなんて、なんだかとっても良いなあ・・・
その後車を降り、ぐるっと街中を歩いた後ダニエラの家へ向かいました。
ダニエラはお母さんと2人暮らし。なんと、ダニエラのお母さんは若い頃、自分一人でダニエラを生み育てたらしい。
ユーゴスラビア時代は、それはあまり普通のことではなく、親戚から色々言われたりもしたそう。強い女性、そしてとってもフレンドリーで私をとても気遣ってくれました。
そのお母さんの気質はダニエラにも受け継がれていて、とても素敵な家族だなぁと感じました。
ベジタリアンの私のために、ダニエラのお母さんは肉抜きのセルビア料理を用意してくれていました。
バルカン諸国では、伝統的に肉を多く食べます。バルカン諸国では多くの人が、この動物のどの部位は何に使って、という知識を身につけているんだとか。クルシェバツ郊外では自分の家に動物を飼っている人も多く、ダニエラの家では卵のために鶏を飼っていました。
彼女の家では他にも野菜を育てていて、野菜は買わずに自分の畑で採れたものを食べているんだとか。
この暮らし、すごくアメージングだなあ〜って思いました。
ダニエラとお出かけ
この日は、ダニエラが私のために休みをとってくれた。
セルビアでは、女性も男性も関係なく皆が熱心に働いています。旅行の文化はあまり根付いておらず、休暇があってもどこにも出かけない、という人が多いんだとか。
Jastrebacへ
まず、彼女とともにJastrebacという山に出かけました。
ここはバルカン半島の中で最も深い森として有名で、リゾートホテルが建っています。
宿泊者以外も食事をとったり遊具で遊ぶことができる。
※JastrebacResortの公式Webサイトはこちら
ここで食事をとった。
なんとダニエラの親友も少しの間来てくれて、3人でお喋り。
この頃バルカン諸国を巡り、コソボ紛争のことやユーゴスラビアのことに興味を持っていた私。子供の頃家の近所に爆弾が落ちた話や、クルシェバツの現状について彼ら目線の話を聞くことができました。
森を後にする
その後、夜にまた会う約束をして、親友は仕事に戻っていきました。
私たちは森を少し歩いて、街へ向かった。
その際に、とある女性2人組とすれ違った。彼女たちはダニエラを見て他人のように振舞っていたが、ダニエラは彼女たちを知っているようで挨拶をした。
後で聞いたところ、彼女たちはレズビアンのカップルで、街では人の目がありデートができないため山まで来ているらしい。
ダニエラは、「ゲイは現代のストレスか何かが産んだ病気。私には理解できない!」と言っていました。
それぞれの個性が活かせる世の中にしようと、色々な人が様々な取り組みをしている現代。
この後訪れたフィンランドではLGBTのレインボーフラッグがいたるところに掲げられているのを目にしました。しかし、それは世界の一つの側面に過ぎない。少なくとも、セルビアのこの街には、まだ保守的な人が多いようでした。
クルシェバツの博物館へ
その後私たちはクルシェバツの博物館へ。
大学で文化人類学を学び、少し考古学の授業も受けたことのある私としては、セルビアの古代から現代までが展示されているとても大満足な博物館でした。
土器や土偶、
可愛らしい民族衣装、
クリスマスに食べられる伝統的なお菓子や
(ダニエラはこのお菓子の食べ方も教えてくれた!このお菓子はクッキーのように固く、食べるときに割るのですが、その中で最も大きく割れた塊のある方の人が一家の大黒柱、と言う意味なんだとか)
伝統的な楽器、
ハイパーインフレの際の紙幣などなど(これまで見たどの紙幣よりも桁が多いw)
展示の量は多いのですが分かりやすくまとまっていて、とても満足のいく博物館でした。
劇を見に行く
旧東側諸国の街では、劇場をよく見かけました。この日、無料の劇が開催されていたので、行ってみました。
正直全くわからず少し寝てしまったのですが、平日の夕方なのに、結構人が入っていて、素敵な文化だなあって思いました。
親友家族と会う
その後、お昼に森で会った親友家族と会った。
小さな可愛い女の子が一人いる家族で、ダニエラが彼女の名付け親(ゴッドペアレントやスポンサーとも言う)になったらしい。
名付け親になるということは、すごく大きな責任が生じるということ。
色々な記念日にはプレゼントを送らなきゃいけないし、将来何か起きた時には金銭的にも援助をしなければならない。
それを引き受けた、と言うことは・・・。ダニエラにとって、いかにこの親友が大切な存在であるかが理解できました。
こう言う東方正教会の伝統文化が今でも根付いていて、話を聞いていてとても興味深かったです。
お別れ
翌日、ダニエラの家を後にしました。
最後にお母さんは思い出に、と教会で買った十字架をくれました。
日本帰国後、紐を通して、ネックレスとして今も大切にしています。
この後、チチェバツ 、と言うダニエラの家の近くの小さな駅から首都ベオグラードに向かいました。

ダニエラの家での滞在を終えて〜知ったこと、感じたこと
ダニエラの家での滞在を通して、セルビアの文化や最近の歴史、人々の結びつきを感じることができました。
- 親との繋がり
セルビアなど旧東側諸国では、親がとても過保護で、子供がもしきちんとした職についていなくても親がサポートする文化がある。 - 紛争のこと
20年前に終結した、コソボ紛争。ダニエラも経験者の一人。特にコソボとの国境に近いクルシェバツは被害が大きく、近くに爆弾が落ちたという。 - ユーゴスラビアのこと
ダニエラのお母さんは、ユーゴスラビア時代を懐かしがっていた。ユーゴスラビア時代は、社員旅行でイタリアに行くこともあったんだとか。現在は貧しく、皆長い時間働いているが、とても遠くへ旅行に行ける余裕はない。 - コソボのこと
セルビアの一般の人々でさえも(実際に紛争を経験した一般の人々だからか)、コソボを国として認めておらずセルビアの中の一地域としてみている。 - LGBTのこと
ダニエラは彼らのことを病気だと思う、と言っていた。英語を話し、一見先進的な考え方を持っている彼女でもそう思っている、と言うことは、多くの人はこのような保守的な考え方をしているのだろう。 - 東方正教会のこと
セルビアの地方では、深い信仰心が人々の心に根付いている。名付け親や洗礼、自分にあてられた聖人の名の日やクリスマスなど、重要な祝日が年に何回かある。
まだ戦争が終わって20年のセルビア。
ユーゴスラビア時代は、セルビア人が中心の国で、セルビア人の中にはダニエラのお母さんのうように「ユーゴスラビア時代の方が良かった!」と言う人も少なくありません。
現在、貧しい暮らしを強いられているセルビアの人々。
ダニエラは何度も、「仕事が忙しいからあずさのように旅行にはいけないなあ」って言っていた。そんな時はいつも、なんと答えればいいのかわからなくなってしまいました。
今回、コソボとセルビアとモンテネグロという旧ユーゴスラビアの国を3カ国訪れることができました。それぞれの視点からユーゴスラビアやコソボ紛争について知ることができて本当にいい経験ができたと思う。
また、これらの地域を旅して「ヨーロッパって一つにくくれない」ということを身にしみて感じました。貧しさや保守的な考え方、伝統的なキリスト教信仰が息づく暮らし・・・。西欧とは全く別の世界だな、と思いました。
なので、東洋・西洋、アジア・ヨーロッパ、というふうに世界をくくるのにはなんだか違和感を覚えます。その中には、様々な文化や考え方を持った人々がいるのに。旅を通して学んだ大切なことの一つです。
最後まで読んでいただきありがとうございました♪
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