紀元前550年〜紀元前330年、メソポタミア、小アジア、エジプトなどオリエント一帯を支配した帝国、アケメネス朝ペルシア。実は、このアケメネス朝ペルシアの首都はイラン シーラーズから約60km北東へ行ったところにあるペルセポリスに置かれていました。
現在、ペルセポリスはユネスコ世界遺産に登録されており、観光客はシーラーズから日帰りでペルセポリスを訪れることができます。
今回の記事では、アケメネス朝ペルシアの歴史と、ペルセポリスまでの行き方・魅力、実際に行ってみた感想をまとめました。
アケメネス朝ペルシアの歴史
紀元前550年〜紀元前330年、メソポタミア、小アジア、エジプトなどオリエント一帯を支配した帝国、アケメネス朝ペルシア。
ダレイオス1世の統治する全盛期の時代には、国内20の州に中央からサトラップを任命して統治に当たらせ、さらに「王の目・王の耳」と言われる監督官を派遣。中央集権体制をとっていました。さらに、道路網や港湾の整備、貨幣の鋳造、度量衡の統一など、専制国家としての形態をとっていました。
この帝国は、最終的にはアレクサンドロス大王によって前330年に滅ぼされます。
ペルセポリス概要
アケメネス朝ペルシアの首都はイラン シーラーズから約60km北東へ行ったところにあるペルセポリスに置かれていました。首都といっても、ペルセポリスは宗教的な役割を担っていた街のようで。政治的な役割はイラン高原西部にあるスサ(ペルセポリスから北西に約700km)が担っていたそう。
ペルセポリスは紀元前520年ごろにダレイオス1世によって建設が始められ、繁栄ののち、紀元前330年、アレクサンドロス大王によって破壊されます。
実は、この地にペルセポリスという名がついたのはペルセポリスが破壊された後のこと。古代ギリシアの歴史家の著書によって、ペルセポリスという名がアケメネス朝ペルシアの首都として広く知られるようになったそうです。
なんだか、こういう場所に来ると松尾芭蕉の俳句「夏草や兵どもが夢の跡」を思い出します。夏草ではなく砂漠だし、兵どもは神官たちかもしれないけれど。美しいなあ・・・
ペルセポリスへの行き方
ペルセポリスへはツアーで行くのが一般的です。
私は、シーラーズにあるピンクモスクの前で営業をしているドライバー(※)、アムールさんに連れて行ってもらいました。
※ガイドではない。ガイドが必要なら、現地のツアーに参加するか、敷地内にいるガイドに頼むと良さそう。
彼はこれまでのお客さんのレビューが書かれたノートを見せてくれたが、たくさんの日本人を案内してきたようだ。大阪から来た女の子を家に泊めたこともあるそう。寡黙で信頼できそうな人だった。
今回私がお願いしたのは、ペルセポリス、ネクロポリス(地位の高い人々の墓。あまり興味が湧かず中には入らなかった)、ピンクレイクを半日かけて周るコースで、15ユーロ。参加者は私一人。一人ツアーだからこそ、もし何か要望があれば応じてくれる柔軟さがありました。また、ペルセポリスでは2時間フリータイムを取ってくれたため、自由に自分のペースで見学ができた。
宿泊しているホステルでもツアーを行っていたが、料金やツアー内容を比較して、アムールさんのツアーの方が条件が良いように感じられたのでこちらに決めました。
ちなみにアムールさんとはLINE・インスタを交換したので、いつでも連絡が取れます。インスタには、今も他国からの旅行者を案内しているストーリーが上げられています。
ペルセポリスに行ってみた
実は、シーラーズに来る数日前にペルセポリスがここにあることを知りました。
そんなわけで、特に緻密に計画を立てて訪れたわけではなかったのですが、とにかく素晴らしい場所でした。
たくさんの石造りの柱や、彫刻が施された壁などが本当に美しいのですが、元々はどのような建物だったのでしょうか?2,000年以上前の建造物、日本なら弥生時代。そんな時代に、どのようにしてつくられたのでしょうか?
今ではもちろん禁止されているが、100年以上前のサインが柱に彫られていました。
美しい彫刻と楔形文字。王のことやこの都市の歴史が書いてあるのでしょうか?
この時代、イランではゾロアスター教が信仰されていました。拝火教とも呼ばれるこの宗教では、この世は善の神アフラ=マズダ(自動車メーカー、マツダのマツダはこれに由来しているらしい)と破壊の神アーリマンとの戦いであるとされています。7世紀、イランへのイスラーム教の進出によりゾロアスター教は衰退していきました。
ペルセポリスの開館時間は8:00〜17:30、入場料は200,000リヤル(2019年4月現在、約1.4ユーロ)。世界遺産としては破格の安さだ。シーラーズに行ったら必ず訪れるべき場所だ。
おわりに
以前、ベルリンのペルガモン博物館で、この地域の古い彫刻や石碑を見たことがありました。でも、実際にその地に訪れてみて・・・遺跡に対して抱く印象が全く違いました。
実際にその場を訪れたこそ、「なぜ丘の麓に都を建てたのだろう?」「なぜ川の近くではなく砂漠のど真ん中に建てたのだろう?」「なぜ政治的役割を担う都市を別の場所(しかもかなり遠く)に作ったのだろう?」「2000年も前に、どのような技術を使って建設したのだろう?」など様々な疑問を抱き、その歴史に興味を持つことができました。
イランは古い歴史を持つ魅力的な地。「いつか訪れたい」と思ってもらえたら嬉しいです。訪れる際には、世界史の教科書をぱらっとめくって、この地域の歴史を予習しておくのが良いかもしれません。
参考
- 世界史の窓 アケメネス朝ペルシア https://www.y-history.net/appendix/wh0101-103.html
- Wikipedia ペルセポリス https://ja.wikipedia.org/wiki/ペルセポリス#歴史
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