雑記

筆者が世界一周の旅で学んだこと(2)宗教に対する敷居

最近、日本に戻り家族や友人と話す中で、「ものの見方が変わった」、「常識外れの人物になってしまった・・・」、ということに次第に気がついています。
その中の一つ、宗教に対する敷居について、私が感じていることをお話ししようと思います。

宗教に対する敷居

旅の中で、宗教に対する敷居がめちゃくちゃ低くなりました

タイへ行った時、知り合ったガイドさんが仏教についてのお話をしてくれたこと、インドで寺院に押しかける人々を見たこと、アシュラム(精神的な修行をするお寺みたいなところ)へ行き様々な国の人がそれを信じ、祈り、共同生活しているところを見たこと、トルコでラマダンの期間に遭遇し、厳格にそれを行っている人を見たこと。教会で老若男女様々な人が熱心に祈っている姿を目にしたこと。

様々な場所を旅する中で、生活の中に宗教がある姿を目にしました
一方で、「無宗教」「自分自身を信じている」という人もたくさんいました。
どちらにせよ・・・何を信じているか、って自由なんだな。むしろ、何か一つのことを信じて、規範に則って考え生活する、それってとても美しいことだな、と思ったのです。

日本に戻ってきて、やっぱり様々な人が宗教に対して「怪しい」と思っていることを感じます。でも、それって、何か一つ大事なことを拒否しているようなものじゃないかな。
宗教について話題にすることが、政治の話と同じようにタブー視されているような気がします。それってとても悲しいことな気がします。
皆がオープンに自分の考えを話すことができ、それぞれの意見をまずは受け入れ尊重する、そんな世の中になればな、と思います。

LGBTとか、ベジタリアン・ヴィーガンなど食に対する信条と同じように、宗教も、多様性を受け入れられる、それを尊重できる社会になって欲しいですよね。
(私は、今それを選択したり、公表することによって生じる生きづらさ、は同じだと思うのです)