イラン・アメリカ間の国交が断絶されてから40年。
現在、毎日のようにイランとアメリカとの対立が報じられているが、1979年のイスラーム革命以前、イランは親米国家だった。
その友好関係は、1979年に起こったイラン革命にともなうアメリカ大使館人質事件によって崩れ、今に至る。
今回、イランの首都 テヘランにある旧アメリカ大使館へ行ってアメリカとイランの関係、40年前のイランについて学んできた。

1.イランの歴史~親米王朝時代からイスラーム革命

旧アメリカ大使館について知るためには、1979年のイラン革命前後の歴史を理解する必要がある。ここでは、親米時代から革命までをざっくりと振り返ってみようと思う。
イランは1979年の革命以前、親米の王制国家だった。
革命以前、イランのパフレヴィー朝はアメリカの支援で資源開発を進め、その利益を独占する開発独裁の体制を続けていた。また、王朝は政治面、文化面においても西洋化を進めたが、国民生活は向上せず、アメリカの言いなりのような政治を行っていた。
そこで、イランの国境であったイスラーム教の信仰に立ち返ろう、と言う動きが民衆の中で強まる。王政を批判して追放されていたホメイニが国外から反政府活動を活発に指導するようになった。

1978年、ホメイニに指導された民衆が王政打倒を叫び始め、1979年皇帝政治が倒される。
ホメイニはその後、それまでの西洋化を否定し、イスラーム教の考えに基づく生活規範を復活させた。
イランに行ったら外国人でも着用が義務付けられているヒジャブ、これ、実は1979年の革命によって着用が義務付けられるようになったのだ。

革命時の写真を見ても、女性はヒジャブを被っていない。今のイランからするとなんとも不思議である。
1979年のイラン革命に伴い起こった事件、それがここ、旧アメリカ大使館で起こったアメリカ大使館占領事件だ。79年11月から81年1月と、1年以上にわたって占拠が続いたと言う。
次項では、アメリカ大使館占領事件について説明する。
2.アメリカ大使館占領事件とは
1979年のイラン革命の最中、革命政府はアメリカに亡命した皇帝の引き渡しをアメリカに要求していたが、アメリカはそれを拒否。イランの学生たちはそれに猛反発し、アメリカ大使館を占拠、アメリカ大使館職員52名を人質にした。
大使館が占領されている時、人質にされていた大使館職員たちは軟禁状態に置かれ、興奮した学生たちから残虐的な扱いを受けていたと言う。
80年にアメリカは人質救出を試みるも失敗。81年にやっと人質が解放された。444日ぶりのことである。
この事件の解決後、現在に至るまでイラン政府によるアメリカ政府への謝罪は行われていない上、国交は断絶したままである。
3.旧アメリカ大使館への行き方・開館時間
現在、旧アメリカ大使館は「13th Aban Cultural Complex」と言う名前の博物館として機能している。

旧アメリカ大使館は、地下鉄Red Lineのターレガーニー(Taleghani)駅から歩いてすぐ。私はホステルのあるFerdowsi駅から歩いた。テヘランの地下鉄は、1駅か2駅くらいは余裕で歩けるので、散歩がてら行ってみてもいいかもしれない。入場料は200,000リヤルだ。
開館時間は土曜日から木曜日の9:00〜12:30、14:00〜18:30。
私はちょうどお昼時に行って、1時間ほど待つことになってしまった(周りにカフェや公園があるため、時間潰しには困らないが・・・)開館時間には気をつけてほしい。
3.旧アメリカ大使館へ行ってみた
さて、宿泊していたHI Tehran HostelⅡから歩いて20分、旧アメリカ大使館へやってきた。ちょうどお昼休憩の時間だったため、近くの公園のカフェでランチをしてから再度伺った。
入場料200,000リヤルを払い建物の中に入る。
建物の中は、大使の部屋や通信のための部屋などが当時のまま保存されていた。


通信のための部屋か?時代を感じる。

大使館占領事件が起こる前、大使館職員たちは機密情報を可能な限り処分した。穴が開いているのはそのせい。

これはシュレッダー。これで機密文書を処分した。
ここでは、説明書きがたくさんあるわけではなく、必要に応じて博物館職員の方が説明してくれる(無料)。ちょうど説明を受けていたグループがいたので合流、ビデオを見てから各部屋を巡った。
各部屋には、革命前後の写真も展示してあった。

この写真もその一つだ。当時の熱気がうかがえる。
旧アメリカ大使館は、思っていた以上にとてもこじんまりとした博物館になっていた。
古びていて、歴史に興味のない人にとっては魅力に欠ける気がする。
実際、「そうだ!イラン行っていよう!」と衝動的にイラン行きを思いついた私。下調べができておらず、イランの歴史なんて全く知らなかった。そんな時に行っても面白くないよね・・・。
旧アメリカ大使館へ行くなら、ぜひ、イランの歴史を学んで、実際にイランの人々と話してみたりしてから行くことをお勧めする。そのほうが絶対に、より身近なこととしてイラン革命を見ることができると思う。
4.イランを旅した後に・・・
ここからは、イランを半月旅した後の私の感想。
イランの人々、特に若い人と話すと、現在の政治に不満を持っている人が多いことが伺える。国家的なイスラーム体制について「ばかばかしい」と言っている人もいた。
現在、アメリカとの対立の影響で、通貨の価値は年々下落し、年々人々の暮らしは厳しくなっている。そのせいで、皆、政府に不満を抱いているのだ(だが、それを言うと殺されてしまうため皆不満を口にできない)。
「イラン革命以前の方が良かった」と懐かしんでいる人も見た。
イランを巡って、そんな現実を目の当たりにした後に、旧アメリカ大使館で見たことを振り返ってみると、反米をアピールする見せ方(チケットや、周りのウォールアートなど)にとても違和感を感じた。
この旧アメリカ大使館は、現代の若いイラン人に対して「反米を貫こう、革命以後の政府を支持しよう」とアピールする意味を持った政治的な場なのではないか、そんな気がした。
イランで聞いた、政治に対する不満、日々生活が苦しくなる悲しみ、などは他の記事にまとめようと思う。

参考
- アメリカ合衆国とイランの関係 https://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ合衆国とイランの関係
- イランアメリカ大使館人質事件 https://ja.wikipedia.org/wiki/イランアメリカ大使館人質事件
- 世界史の窓 イラン革命 https://www.y-history.net/appendix/wh1703-039.html
- 世界史の窓 イラン・アメリカ大使館人質事件 https://www.y-history.net/appendix/wh1703-041_1.html