2018~2019 ユーラシア大陸をめぐる旅

【イラン】テヘランの旧アメリカ大使館へ行ってみた

イラン・アメリカ間の国交が断絶されてから40年。
実は1979年のイスラーム革命以前、イランは親米国家でした。
その友好関係は、1979年に起こったイラン革命にともなうアメリカ大使館人質事件によって崩れ、今に至ります。

今回、イランの首都 テヘランにある旧アメリカ大使館へ行ってアメリカとイランの関係、40年前のイランについて学んできました。

イランの歴史~親米王朝時代からイスラーム革命

旧アメリカ大使館について知るためには、1979年のイラン革命前後の歴史を知る必要があります。

イランは1979年の革命以前、親米の王制国家でした。
革命以前、イランのパフレヴィー朝はアメリカの支援で資源開発を進め、その利益を独占する開発独裁の体制を続けていました。王朝は政治面、文化面においても西洋化を進めたが、国民生活は向上せず、アメリカの言いなりのような政治を行っていたそう。

そこで、イスラーム教の信仰に立ち返ろう、と言う動きが民衆の中で強まり、王政を批判して追放されていたホメイニが国外から反政府活動を活発に指導するようになリました。

1978年、ホメイニに指導された民衆が王政打倒を叫び始め、1979年皇帝政治が倒されます。

ホメイニはその後、それまでの西洋化を否定し、イスラーム教の考えに基づく生活規範を復活させました。
イランに行ったら外国人でも着用が義務付けられているヒジャブ、実は1979年の革命によって着用が義務付けられるようになったんですね。

イランの紙幣に描かれたホメイニ

革命時の写真を見ると、女性はヒジャブを被っていません。今と比べるととても不思議ですよね・・・。

1979年のイラン革命に伴い起こった事件、それがここ、旧アメリカ大使館で起こったアメリカ大使館占領事件です。79年11月から81年1月と、1年以上にわたって占拠が続いたそうです。

アメリカ大使館占領事件とは

1979年のイラン革命の最中、革命政府はアメリカに亡命した皇帝の引き渡しをアメリカに要求していましたが、アメリカはそれを拒否。イランの学生たちはそれに猛反発し、アメリカ大使館を占拠、アメリカ大使館職員52名を人質にしました。

大使館が占領されている時、人質にされていた大使館職員たちは軟禁状態に置かれ、興奮した学生たちから残虐的な扱いを受けていたといいます。

80年にアメリカは人質救出を試みるも失敗。81年、444日ぶりに人質は解放されました。

この事件の解決後、現在に至るまでイラン政府によるアメリカ政府への謝罪は行われていない上、国交は断絶したままです。

旧アメリカ大使館への行き方・開館時間

現在、旧アメリカ大使館は「13th Aban Cultural Complex」と言う名前の博物館になっています。

博物館のチケット。ギリギリの表現・・・

旧アメリカ大使館は、地下鉄Red Lineターレガーニー(Taleghani)駅から歩いてすぐ。入場料は200,000リヤル

開館時間は土曜日から木曜日の9:00〜12:30、14:00〜18:30

旧アメリカ大使館へ行ってみた

宿泊していたHI Tehran HostelⅡから歩いて20分、旧アメリカ大使館へやってきた。ちょうどお昼休憩の時間だったため、近くの公園のカフェでランチをしてから再度伺いました。

入場料200,000リヤルを払い建物の中に入る。

建物の中は、大使の部屋や通信のための部屋などが当時のまま保存されていた。

通信のための部屋?

大使館占領事件が起こる前、大使館職員たちは機密情報を可能な限り処分したそう。穴が開いているのはそのせい。

シュレッダー。これで機密文書を処分しました。

ここでは、説明書きがたくさんあるわけではなく、必要に応じて博物館職員の方が説明してくれます(無料)。ちょうど説明を受けていたグループがいたので合流、ビデオを見てから各部屋を巡りました。

各部屋には、革命前後の写真も展示してありました。

旧アメリカ大使館へ行くなら、ぜひ、イランの歴史を学んで、実際にイランの人々と話してみたりしてから行くことをお勧めします。そのほうが絶対に、より身近なこととしてイラン革命を見ることができる気がします。

追記:イランを旅した後に・・・

ここからは、イランを半月旅した後の私の感想。2019年

イランの人々、特に若い人と話すと、現在の政治に不満を持っている人が多いようでした。国家的なイスラーム体制について「ばかばかしい」と言っている人もいました。アメリカとの対立の影響で、通貨の価値は年々下落し、年々人々の暮らしは厳しくなっている。そのせいで、皆、政府に不満を抱いているのです(それを言うと殺されてしまうため皆不満を口にできない)。

「イラン革命以前の方が良かった」と懐かしんでいる人も見た。

イランを巡って、そんな現実を目の当たりにした後に、旧アメリカ大使館で見たことを振り返ってみると、反米をアピールする見せ方(チケットや、周りのウォールアートなど)にとても違和感を感じた。
この旧アメリカ大使館は、現代の若いイラン人に対して「反米を貫こう、革命以後の政府を支持しよう」とアピールする意味を持った政治的な場なのではないか、そんな気がしました。

参考

  • アメリカ合衆国とイランの関係 https://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ合衆国とイランの関係
  • イランアメリカ大使館人質事件 https://ja.wikipedia.org/wiki/イランアメリカ大使館人質事件
  • 世界史の窓 イラン革命 https://www.y-history.net/appendix/wh1703-039.html
  • 世界史の窓 イラン・アメリカ大使館人質事件 https://www.y-history.net/appendix/wh1703-041_1.html

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