ブルガリアの首都ソフィアから、北マケドニアの首都スコピエにやってきた私。
スコピエは、ただでさえ貧しいバルカン半島の中でも最低レベルの賃金で知られる国なのに、イギリスを彷彿とさせる赤い2階建てのバスが街中を大量に走っていたり、大きな像が至る所に建っていたりとアンバランスさが面白かった。
今回は、北マケドニアの紹介と、首都スコピエを街歩きした時のことをご紹介する。

北マケドニア概要
北マケドニアってどんな国?
北マケドニアは、バルカン半島に位置する内陸国で、1991年にユーゴスラビアから独立した国。
ギリシャ、アルバニア、ブルガリア、コソボ、セルビアに囲まれた内陸国だ。
面積は全世界の国の中で145位の25,713平方キロメートル。
名目GDPは2018年現在193ヶ国中134位で、バルカン半島の中でも貧しい国だ。
北マケドニアの歴史と呼称問題
ここで北マケドニアの歴史を古代から振り返ってみようと思う。
「マケドニア」と言えば紀元前4世紀にアドリア海からインダス川まで及ぶ広大な帝国を築き上げたアレクサンドロス大王で有名。北マケドニアはその「マケドニア」地域の北西部に位置し、その地域の約4割を占めている(残り5割はギリシャ、1割はブルガリア)。
アレクサンドロス大王の時代の後、ローマ帝国、東ローマ帝国の支配、ゴート人、フン族やアヴァール人などの侵略やオスマン帝国など、様々な帝国や民族の侵略や支配が繰り返された。19世紀にオスマン帝国から独立すると、20世紀初頭、バルカン戦争や第一次・第二次世界大戦が起きる。そしてユーゴスラビアの時代へと入っていく・・・。
1991年、東西冷戦が終わり、現在の北マケドニアはマケドニア、という国名で独立した。国旗も現在のものとは異なる「ヴァルギナの星」という古代マケドニア王国と類似したものを利用していたのだが、それがギリシャとの間の歴史問題に発展。経済制裁を受けてしまう。
ギリシャは、古代マケドニア時代の重要な遺跡があることや、マケドニア地域の約5割を占めていることなどから、北マケドニア(当時はマケドニア)のこれらの決定に気が食わなかったようだ。
国旗改正や憲法改正の結果、数年後に経済制裁は解除されたが、その後もギリシャからの嫌がらせ(?)は続き・・・
↓独立当初の国旗

2008年に北マケドニア(当時のマケドニア)がNATOに加盟しようとした際も、ギリシャの拒否によって否決。この後EUやNATO加盟に意欲的な北マケドニア政府は、ギリシャとの距離を縮めるようになり、結果2018年6月に国名を北マケドニア共和国とすることで合意。2019年2月に正式に国名が変更された。
北マケドニアの首都スコピエ
北マケドニアの首都スコピエは、人口の3分の1が居住する大きな街。
紀元前4000年代から人が住んでいたと言われている、とても歴史の長い街だ。
「スコピエ」というなんだか変わった名前は、古代ローマの要塞の町の名前が起源だという。
スコピエでは1963年にマグニチュード6.1の大地震が起きた。その結果、現在の旧市街と呼ばれるエリアは被害を免れたが、多くの貴重な建物が被害を受けた。

その後近代的な都市として復興したが、その結果、何かちょっとアンバランスな感じを醸し出す都市となっている。
首都スコピエ街歩き〜アンバランスな町の魅力をご紹介
それでは、首都スコピエをブラブラと散策してみよう〜。
今回はこんなルートで巡ってみる。
- メインストリート
- マケドニアゲート
- マケドニアスクエア(アレクサンドロス大王の銅像)
- 旧市街
- 要塞跡
ゆっくり歩いて半日あれば十分スコピエを満喫できると思う。
メインストリートをブラブラ
まずは、町のメインストリート、「マケドニアストリート」をブラブラと散策。
このストリートには、土産物屋さんやカフェ、レストラン、書店などが立ち並んでいる。
脇には、実はマケドニア出身であるマザー・テレサの記念館もある。
興味があれば覗いてみるのも良いだろう。

また、この通りから一つ東側の通りの入り口には、パリの凱旋門を彷彿とさせるゲートが。
こちらもなんだか奇妙。必見だ。

メインストリートを北に向かって歩いていくと・・・

どでかい銅像が見えてきた。
アレクサンドロス大王などの銅像群

スコピエの象徴とも言える大きなアレクサンドロス大王の銅像。24mの高さを誇るとても巨大な銅像だ。
前述したギリシャとの間の歴史問題について読んでくださった方はわかると思うが、これを建設する際ギリシャからは抗議の声があったそう。
また、この銅像の建設も含めた街の建設計画「スコピエ2014」には約7億ユーロがつぎ込まれたそう。
ただでさえ貧しい国なのに、何やってんだ・・・という感じもする。
アレクサンドロス大王の像を通り抜けて川の方へ進んでいくと、他にも大きな銅像がたくさん建てられている。

↓川向こうに建てられた博物館へ架かる橋の様子。
橋の両側に一定間隔で並ぶ銅像。なんだか異様な雰囲気だ。

川の向こうの広場には、さらに多くの銅像が。
なんとも不思議な光景であった。
旧市街
奇妙な銅像群を抜け北に歩いていくと、旧市街へと足を踏み入れることになる。
旧市街は1963年の大地震の被害を免れた地域で、トルコな雰囲気のカフェやマーケットなど、もともとのスコピエの雰囲気を感じることができる。モスクやトルコ菓子を売る店など、トルコの影響の大きさを感じることができる。
要塞跡
モスクの近くの道を登っていくと、要塞跡から市内を見渡すことができる。
晴れていれば、西側に夕日を見ることもできる、オススメのスポットだ。

スコピエの奇妙なところ〜ロンドンのようなバス
前回の記事でもご紹介したが、スコピエには奇妙な点がいくつかある。
その奇妙な点の一つが、この路線バス。

この路線バスは1950年代〜60年代にスコピエで使用された英国製のバスに似せて特別に設計されたバスで、実は中国製。
このバスの導入を巡っては、レトロな外観とその縦の長さから実用的ではないという批判や、費用を巡っての批判もあったらしい(量産型のバスを使う方が安い)。
実際このアンバランスな都市でこのバスを目にしてみて、やっぱり「アンバランスだなあ〜」という印象。
まあ、これが将来スコピエの象徴みたいなものになれば面白いかもしれない。
おわりに
アンバランスさが面白い北マケドニアの首都、スコピエ。
国の歴史やギリシャとの間の問題もなかなか興味をそそられる。
ぜひバルカン半島を訪れたら、寄ってみてほしい場所である。

