2016中央アジアの旅

【2016中央アジア】ウズベキスタン よくある手口でだまされる!世界遺産の街ブハラ

こんにちは、AZUSAです。
2016年に行った中央アジアをめぐる旅について書いています。

サマルカンドの次は、同じく世界遺産に登録されているブハラへ行きました。
若気の至りというか、旅慣れてきた頃の失敗というか、私はこの頃「話しかけられたらとりあえずついていく!」精神でおりまして、その結果だまされました(笑)
生命に関わることではなかったからよかったものの、、それについても書くので、これから行く方は気をつけてくださいね。

○日程
2016/9/10:成田→仁川(韓国)→アスタナ(カザフスタン)
2016/9/13~14:アスタナ→アルマティ by夜行列車(12hour)
2016/9/19アルマティ→シムケント byミニバス
2016/9/21シムケント→サマルカンド(ウズベキスタン) byタクシー viaタシケント
2016/9/23サマルカンド→ブハラ byタクシー viaナボイ
2016/9/25ブハラ→タシケント by飛行機
2016/9/27タシケント→仁川→成田

ブハラとは

ブハラは、ウズベキスタンのほぼ中央に位置するオアシス都市。サマルカンドと同様、古代からシルクロードの要衝として栄えていたそうです。9世紀後半〜10世紀末まで、サーマーン朝の首都になり、商業都市として栄えました。

その後サーマーン朝が滅亡すると、モンゴルの制服を受け荒廃しますが、その後モンゴル帝国支配下で徐々に復興。16世紀後半にはシャイバーン朝の首都となり再び拡大します。19世紀後半にはロシア帝国に征服され、20世紀にはソビエト連邦に組み込まれることに。

そんな、文化の交差点にある街として波乱万丈の歴史を辿ってきたブハラ。
旧市街地はサマルカンドよりも一歩先、1993年にユネスコの世界遺産に登録されました(サマルカンドは2001年)。

ユネスコ世界遺産、ブハラ歴史地区

サマルカンドからブハラへ

サマルカンドからブハラまでは、これまでと同様乗り合いタクシーで向かいました。
ここで恐らくぼったくられて、いい気持ちではありませんでした。それしか選択肢がないなか、何が正解なのかよく分かりませんが、多分もっと色んな人に聞いて、最適な交通手段・運転手を探すべきだったかなー。

でも、やっぱり、歩いてみると、サマルカンドとはまた異なる凄さに圧倒されました。
本当に、ファンタジー小説の中に迷い込んでしまったよう・・・。
建築物や街の雰囲気をお伝えしていきます。

世界遺産、ブハラ旧市街地

ラビ・ハウズ(Lyabi Khauz)

ブハラ観光の拠点となるのが、このラビ・ハウズという場所。
ラビ・ハウズとはタジク語で「池の周り」という意味だそう。ため池の周りに歴史的建造物やレストラン、カフェ、ホステルなどが集まっています。ブハラに行ったら、一旦この場所へ行き、向かう方角を確認すると良いかも。

日によっては、レストランでご飯を食べながらショーを見ることができるそうです。

ラビハウズ

ラビハウズの一角には、ロバに乗った「ホジャ・ナスレディン」という人の像が。
彼はイスラーム世界に伝わる民話の主人公の名前で、800年ほど前に神学校の先生をしていたそう。彼にまつわる勇気とユーモアに溢れた話は人々に愛されているそう。
(amazonとかで調べると、トルコの民話として本が出てきます)

ホジャ・ナスレディンの像

ラビハウスに面したマドラサ。鳥と太陽が描かれている門が素敵。
イスラムは偶像を禁止しているハズなのですが、このような具体的な絵が描かれているのが、サマルカンドのシェルドルマドラサとも似ていますね。

ナディール・ディヴァンべギ・メドレセ
ナディール・ディヴァンべギ・メドレセの内部

マドラサの中庭は、レストランと土産物店になっていてちょっとガッカリ。

Nadir Divanbegi Khanaka

池を挟んでもう一方にも、建物がありました。こちらはタイルなどで装飾されていないシンプルなもの。こちらも、土産物屋になっていました・・・。

AZUSA
AZUSA
ブハラはサマルカンド以上に、どこもかしこも土産物屋になっていて、なんだか少しガッカリしてしまいました。まあそりゃ、そうなってしまうとは思うのですが。。
 

カラーン・ミナレットとカラーン・モスク

カラーン・ミナレットとカラーン・モスク

12世紀に建てられたカラーン・ミナレット(写真 左側の塔)は、ブハラ歴史地区のシンボル。高さは46メートルもあり、シルクロードのキャラバン隊の道標になっていたそう。ブハラの街はチンギス・ハーンによって破壊を受けましたが、ミナレットは破壊を免れたそうです。

カラーン・ミナレット

ミナレットを近くで見ると、精巧な模様が施されているのが分かります。

その横にあるカラーン・モスクはブハラ最大のモスクと言われています。8世紀に建てられたものが破壊され、現在立っているものは16世紀初頭に再建されたものだそうです。その横にはマドラサ。こちらのマドラサも、16世紀に建てられたとの記載がありました。

カラーン・モスク
ミル・アラブ・メドレセ
ミル・アラブ・メドレセ

ウルグ・ベク・メドレセとアブドゥールアジス・ハン・メドレセ※ここで声をかけられた!

2つのマドラサが向かい合っている

カラーン・ミナレットの近く、2つのマドラサが向かい合っている美しい場所があります。
一方がウルグベク・メドレセ、もう一方がアブドゥールアジス・ハン・メドレセ。

ウルグベク・メドレセ
アブドゥールアジス・ハン・メドレセ

どちらも装飾が美しいですね。夕方、一眼レフカメラを持っている旅行者たちが多く撮影に来ていました。

この付近を歩いていると、この近くに住むおじさんに声をかけられました。
「うちでご飯を食べないか」と・・・。
ここで初めて、騙される(というか、騙してるつもりはないかもしれないけれど、商売と思ってやっている?)体験をしたのでした。最後の方に書きます。

ボラハウズ モスク(Bolo Hauz)

ボラハウズ モスク

ハン(王)専用だったモスク。クルミの木で作られた柱や、モスクの前のため池に映った建物の姿が美しかったです。今でも礼拝に使われていますが、観光客も内部に入ることができます。

ボラハウズ・モスク

門のところは、オレンジや赤、黄色など色鮮やか。サマルカンドで見たモスクとはまた異なる感じ。

ボラハウズ・モスク

天井の装飾。こんなに木がふんだんに使われている建物をあまり見なかったので、まるで日本の仏教寺院のように天井にもカラフルな装飾がされているのに驚きました。

ボラハウズ・モスク

アルク城

アルク城

ブハラ歴史地区の西側に位置する、ハーン(王)の居城かつ要塞だった場所。
モンゴルとの戦いをはじめ、たくさんの戦いによって破壊され、その度に再建されてきたらしい。また、この城の前では処刑が行われていたとも言われているらしい。

アルク城

城の内部には、古いコーランなどが展示されていたり、土産物屋や(どこにでも土産物屋しかないなあ・・・)小さいカフェなんかもありました。

アルク城

柱や木の感じが、ボラハウズ・モスクに似ていますね。
アルク城の屋上からは、ボラハウズ・モスクをはじめブハラの街を眺めることができました。

アルク城からボラハウズ・モスクを見る
アルク城 なぜか大量の絨毯?刺繍?が展示?販売?されている
アルク城から見下ろすとラクダがいた

特に、個人的に圧倒されたのがこの城壁。丸みを帯びた、これまで見たこともないような造りに驚きました。

アルク城の城壁

タキ(昔のバザールや関所の跡)

歴史地区を歩いていると、このように屋根の高いゲートのようなものをしばしば見かけます。これを「タキ」と呼び、大通りの交差点を丸屋根で覆ったバザールのことを言うそうです。
現在は土産物屋になっているのですが、売っているものが少しずつ違うので、場所も近いので巡ってみるのも面白いかもしれません。

タキ サラフォン(Toqi Sarrafon)

こちらはその中の一つ、タキ サラフォン。

タキ サラフォン

タキ テルパク フルシャン(Toqi Telpak Furushon)

タキ テルパク フルシャン
タキ テルパク フルシャン

内部はまるでタイムスリップしたかのよう。
衣装やタイル、刺繍などいろいろなものが売られています。

はじめてだまされる!

ウルグ・ベク・マドラサとアブドゥールアジス・ハン・メドレセ付近で写真を撮りながらブラブラ歩いていると、現地のおじさんに声をかけられました。

「うちで夕食を食べていかないか」
「観光客を夕飯に招待している」
「昼は日本人のカップルが、昨日はドイツ人が来た」

などなど、話しかけてきます。
この頃の私は旅慣れてきた&若気の至りというか、「声をかけられたらついていく」精神だったので(今じゃ考えられない…)、何かここでしかできない体験ができるかも!と思いついていくことに。

ウルグベク・メドレセから歩いてすぐのところに彼の家はありました。
奥さんと娘、3人で暮らしており、果物、ナン、チャイとラグマンを出してくれました。

家族の食卓に招待されると思いきや、一人個室に閉じ込められ寂しく料理を食べることに。。

その時の料理。ラグマンは家庭的なお味。

少しすると家族が集まってきて、話をする。

知り合いに両替商がいるとのこと。
持っているドルはホステルに置いてきたと話すと、明日両替をしてあげよう、とのこと。
(別に両替は必要なかったので、もちろん、翌日この人には会いませんでした…)

少しするとおじさんが、娘が土産物を作っている、と話しはじめます。

その時の土産物

提示された金額は土産物屋で買うよりも高かったのですが、なんだか断りきれず買ってしまいました(ちなみにこのポーチ、今でも使ってます笑)

その後、「ハートマネー」を要求されます。人の良心に訴える「ハートマネー」私はとても苦手です。要求する方も、ダメだと思う。
私は普段自分のご飯を食べるより多く払ったけど、おじさんは「うーん・・・」という感じでした。多分、他の観光客の中にはもっと多く払う人もいたんだろうな・・・。

とりあえず今日はここで別れて、明日もおいでよ!と言うことに。
もちろん行かなかったのですが、無駄なお金を使ってしまった・・・と意気消沈でした。

のちに日本でアプリで知り合った旅好きの人と話していると、同じ人に騙された(?)ことが判明。
また、GoogleMapでもそのような口コミを目にしました。
この辺りでは有名なおじさんなのでしょうか。翌日もカモ(?)を探して同じところをウロウロしているのを遠目から見かけたし・・・。

6年経って、今どうなっているのかは分からないけれど、ブハラに行く人、注意してくださいね。

とにかく、少しお金を無駄に使ってしまうくらいで済んでよかったけど、これがもしもっと別の悪意を持った人だったら・・・と考えると恐ろしい。ホイホイついていかないようにしよう・・・少し、心に刻まれました。

AZUSA
AZUSA
この時の旅のモットー「誘われたらついていく」でした。危険!直感を大切にしないとね。

とにかく、ブハラではこんな経験もあり、美味しいものにありつけなかったし、土産物屋さんばかりだし、あんまりいい思い出がありませんでした。

おまけ 歴史地区をブラブラ

そんな感じで、踏んだり蹴ったり(自分の問題もある)なブハラでしたが、なんでもない街並みがとても素敵。ちょっとご紹介します。

ブハラの路地
ブハラの路地 レンガが積み上げられていました
アルク城の近く。サーカスが来ていました。
絨毯などが売られている場所。地元の人が多く来ている?

観光客向けのレストランで食べる、美味しくない食べ物。
汁なしラグマン、要は具がとっても少ない太麺のナポリタン、目玉焼き付き。ガッカリ・・・。

汁なしラグマン

翌日、こんな不可思議な思いをしたブハラをお別れし、飛行機で首都タシケントに向かいます。


最後まで読んでいただきありがとうございました♪
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